〜「島木赤彦忌」に参加して〜

                                       平成24年 4月
                       村田みつ子(新制19期)

 若杉会同窓会東京支部で角館高校の資料にあった「島木赤彦忌」の記事に目が止まった。 角館の大先達である日本画家平福百穂先生がアララギ派同人の島木赤彦先生に角館高校校歌の作詞を依頼され、同人の斎藤茂吉先生の補詞で校歌が完成した。校歌を作詞してくださった長野県の偉大な歌人島木赤彦について、 あまり周知していなかった。また、在学当時、難意語彙が多く十分意味を理解せず歌っていた。
 3月27日、島木赤彦の遠忌に参加するため、若杉同窓会総勢26名が長野県下諏訪に新幹線で出発した。下諏訪に着き、下諏訪の実行委員の方々から出迎えを受けた。赤彦先生、不二子夫人の眠る墓地に向かい、線香を手向け合掌した。墓地は、自然の多い、長閑な場所にあった。秋田に似た風景が広がっていた。野蒜も彼方此方に芽を出しており、故郷を想った。赤彦の墓碑名は、平福百穂先生が、不二子夫人のは、斎藤茂吉先生が書いたものであることを、墓石の裏を見て知って、感動した。
 湖畔に建つ諏訪博物館、赤彦記念館で行われた25回赤彦忌に全員参列した。地元の方々による心のこもった詩吟・朗読・歌・子どもによる劇など披露された。
 若杉会東京支部の橋本会長の謝辞には、校歌への思い入れがとても深いことが表されていた。同窓会の度に、この素晴らしい我々の誇りでもある校歌を全国に発信したい、とまでも。
 赤彦忌に際して、江戸川大学教授新井正彦氏による講演「百穂と赤彦」。これは、同窓会特参加に配慮された講演であることを大変ありがたくまたうれしくも感じた。7頁に亘る資料と木曽路周辺の古地図、そして当時の国民新聞のコピーを基に一時間余りの講演であった。資料の百穂年譜に「柿の村人」とは島木赤彦(本名は久保田俊彦)の別号と初めて知った。 平福百穂先生のご次男周蔵氏の久子夫人も東京から見えられ参列された。
 その夜、山王閣にて、赤彦記念文学祭実行委員会による角館高校同窓会歓迎会が行われた。日暮時、湖面が一眺でき、幻想的な素晴らしい景色に息を飲んだ。各々のテーブルで、角館・下諏訪の人達で、自己紹介から始まり、様々な話に花が咲き、親交を深めることができた。控え目であるが、 自分の考えをしっかり持っている下諏訪の方達ばかりで、とっても良い刺激であった。ここでも女性達は元気が良かった。 七年毎に一度執り行われる大祭「御柱祭」の際に歌われる木遣歌が披露されたが澄み切った高音の声の響きに聞き惚れてしまった。歓迎会の席上、長野県民歌「信濃の国」と旧秋田県民歌を歌い、最後に参列者全員で角館高校校歌を斉唱した。 歌いながら、赤彦先生や百穂先生そして下諏訪の方達のことを思い胸にこみあげてくるものがあった。
 下諏訪の人達と文化人を介して結びついていることを実感するとともにこれからも交流を続け互いに情報交換が持てることを期待している。



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